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もうひとつの新生地球(一厘の神仕組の秘密)

~出口王仁三郎は密かに予言を訂正していた~

拙著「神さまの成功法則~宇宙最速の願望実現メソッド~」では、以下のような文章を書きました。

「霊界物語」(十三巻信天翁三)で出口王仁三郎は、美濃か尾張の国(身の終わりの国を意味する暗号で、死後の世界から蘇ったてんしさまのこと、あるいは、この世界がてんしさまにとっての死後の世界であることを伝えているのでしょう)から自分を超える変性女子(肉体は男性だが心は女性)が現れるとも予言しています。
(引用はここまで)

ここに書かれている「自分を超える変性女子(肉体は男性だが心は女性)」とは、王仁三郎が予言した自分の後に現れる本物の救世主のことを意味しますが、なんと、以下に引用する床次竹二郎の弟にあてた遺書で、王仁三郎は「変性女子」を「まことの女」に書き換えていたことが分かったのです!

いま大本にあらはれた変性女子(王仁三郎のこと)はニセモノだ。まことの女子が現はれて、やがて尻尾が見えるだろ。女子の身魂を立直し、根本改造せなくては、誠の道はいつまでも、開く由なしさればとて、それに優りし候補者を、物色しても見あたらぬ。時節を待っていたならば、いづれ現はれ来たるだろ。
美濃か尾張の国の中、まことの女が知れたなら(元の文章では「変性女子が分かりたら」と書かれています)、モウ大本は駄目だらう。前途を見こして尻からげ、一足お先に参りませう。皆さまあとからゆつくりと、目がさめたら出てきなよ。盲目千人その中の、一人の目明きが気をつける。
(引用はここまで)

つまり、王仁三郎は「まことの女(王仁三郎の後に現れる本物の救世主)」が、最初は、男(変性女子)だと思っていたのに、後になって、女だったということに気がついて(あるいは神仕組みのシナリオが書き換わって)、訂正したとしか考えられないのです。

この事実が判明した以上、男性のてんしさまとは別に、王仁三郎が予言した本物の救世主(女性)がいることになります。

しかし、王仁三郎とてんしさまには、以下のようなあまりにも奇妙な一致点があるのです…。

王仁三郎は自身を救世主、ミロク神だと言っていました(後に、自身が救世主であることもミロク神であることも否定し、本物の救世主はこれから現れると予言しました)。そして、自分の言動が雛型(ひながた)になって世界中の出来事が起こっていると主張しました(大本雛型論)。
彼の言葉どおり、王仁三郎が主宰する大本教に起こった出来事は、そのぴったり6年後の日本に波及しているのです…。

第二次大本事件勃発            昭和1012 8
太平洋戦争勃発             昭和1612 8

神殿破壊開始            昭和11 418
米軍機東京初空襲           昭和17 418

大審院にて無罪判決         昭和20 9 8
サンフランシスコ講和条約調印    昭和26 9 8

出口聖師投獄期間             68ヵ月
連合軍日本占領期間             68ヵ月

一方、てんしさまも自身を創造主、ミロク菩薩と言い、自分の見たこと、聞いたことが世界のニュースになると主張しています。
てんしさまは王仁三郎のこともスピリチュアルなことも全く知らないにも関わらず、これだけ二人の主張が一致するなんてすごく不思議なことではないでしょうか…。

つまり、王仁三郎自身がてんしさまの雛型を演じ、その出現を予言していたとしか思えないのです。王仁三郎は謙遜して自身をニセモノと表現していますが、これから現れる本物の救世主のために、ある重要な役割を演じていたと考えています。

それは「大本雛型論」にも象徴されるように、世界につながる場を創ったことです(王仁三郎がその雛型を演じたてんしさまの役割も同様です。てんしさまの後に現れるまことの女、すなわち、本物の救世主のために世界につながる場を創ったのです)。

ホロン(HOLON)という、ハンガリー生まれの哲学者、アーサー・ケストラーの造語で、ギリシャ語で「全体」を表す「HOLOS」に「個」「部分」を表す「ON」を結びつけた言葉があります。個人の意識は全体に反映し、逆に、全体の意識も個人に反映するという意味です。つまり、一人の人間の意識が全体に影響を与えてしまうのです。同じような意味で、「天人相関」という言葉があります。儒教で主張される教義の一つで、天と人には密接な関係があり、相互に影響を与えあっているという意味です。国王の所業は自然現象に影響を及ぼし、悪政を行えば大火や水害、地震などをもたらし、善政を行えば様々な吉兆が現れると考えられていました。ユングの著作にも似たような話があります。ユングの友人リヒャルト・ヴィルヘルムが中国に行ったときの話です。以下、「黄金の華の秘密」より引用します。

たいへんな旱魃があった。何ヶ月もの間、一滴の雨も降らず、状況は深刻であった。カトリック教徒たちは行列をし、プロテスタントたちはお祈りをし、中国人は線香をたき、銃を撃って旱魃を起こしている悪霊たちを威嚇したが、何の効果もなかった。最後に、ある中国人が言った。「雨乞い師を呼んでこよう。」そこで、別の地域から、しわだらけの老人が呼ばれてきた。彼はどこか一件の静かな小さい家を貸してくれとだけ頼み、その家の中に閉じ込ってしまった。四日目になると、雲が集まってきて、たいへんな吹雪になった。雪など降るような季節ではなかった。それも非常に大量の雪であったのである。町中は、すばらしい雨乞い師の噂でもちきりであった。そこで、リヒャルト・ヴィルヘルムは出かけていって、その老人に会い、どんなことをしたのかとたずねた。彼は、まったくもってヨ-ロッパ風にこうきいたのである。「彼らはあなたのことを雨乞い師と呼んでいます。あなたがどのようにして雪を降らせたのか、教えていただけますか。」すると、その小柄な中国人はこういった。「私は雪を降らせたりはしません。私は関係ありません。」「ではこの三日間、あなたは何をしていたのですか。」「ああ、そのことなら説明できます。私は別の地方からここへやってきたのですが、そこでは、万事が秩序だっていたのです。ところがここの人たちは秩序からはずれていて、天の命じているようになっていないのですよ。つまり、この地域全体が道(タオ)の中にないというわけです。ですから、私も秩序の乱れた地域にいるわけで、そのために私は物事の自然な秩序の中にいないという状態になってしまったわけです。そこで私は三日間、私が道にかえって、自然に雨がやってくるまで、待っていなくてはならなかったというわけです。」(引用はここまで)

つまり、「我こそは国王である」と自覚している人の思考は、その国に影響を与えるというわけです。雨乞い師も同様です。タオ(タオとは「万物を生成化育発展させるエネルギー」=「いのち」と言い換えることができるでしょう)と一体だという自覚ある雨乞い師の思考は天候に影響を与えるのです。

ここで重要なのは、国王という自覚、タオと一体だという自覚に世界は従うということです。

でも、なかなか普通の人がその自覚を持つのは難しいでしょう。

ところが、てんしさまは圧倒的な確信力をもって、自分が世界を創造している(=自分の行動が世界のニュースになっている)という自覚を一点の疑いもなく持たれています(もともとの性格や四度の臨死体験という特異な人生経験に依るところも大きいでしょう)。
だからこそ、てんしさまの思考は世界に影響を及ぼすのです。
王仁三郎も自分が世界を創造している(=自分の言動が雛型になって世界中の出来事が起こっている)と、一点の疑いもなく自覚していたからこそ、彼の思考は世界に影響を及ぼしたのです。

そして、王仁三郎のこの強烈な自覚が核となって、世界につながる場を大本教という集団に創り出したように、すでに「てんしさま成功塾」にも世界につながる場ができているのです(大本雛型論ならぬ「てんしさま成功塾」雛型論です。シェルドレイクの形態形成場仮説によれば、その場に参加する人たちが増えれば増えるほど、場のパワーもどんどん強くなっていきます)。

この世界につながる場に共鳴するから開運できるのです。

自己が拡大し世界とのつながりが増したぶん、自分が世界に影響を及ぼす力も大きくなります。その結果、自身の思考現実化能力も高まって、誰もが小さな個を超えたパワーと才能と運を発揮できるようになる、すなわち、豪運になるわけです。

~もうひとつの新生地球(一厘の神仕組の秘密)~

さて、日月神示には八通りの解釈があると言われていますので、別の視点から「てんしさま」という存在について書いてみたいと思います。

最近、不思議なことを言う子供たちがどんどん生まれてきているそうです。
この地球の他にもうひとつの地球があって、その新しい地球とこの地球が重なり合った後、この汚染された地球はどこかに去ってしまうと…。

実は、王仁三郎の著作や日月神示に書かれている「一厘の神仕組」の秘密がこれなのです!

つまり、高次元にもうひとつの新生地球がすでに用意されている…(そのための重要な霊的役割を果たしたのが王仁三郎だと考えています)。

国家風水師の白峰先生が、この意味での「アセンション」という概念を、世界で初めて提唱しましたが、この「一厘の神仕組」の秘密を白峰先生は知っていたということです(これは本当にスゴイことです)。ただし、その時期を予言することは困難でしょう。なぜなら、浦島太郎が龍宮城で過ごした3年が人間世界の700年だったように、神時間と人間時間は異なるからです(あらゆる予言に言えることですが、すべてはひとつの可能性に過ぎません。それをどう解釈するかは、今を生きる私たちに任されているのです。予言を正解にするのも不正解にするのも私たち次第と考えています)。

日月神示の五葉之巻にも、このことを示唆する次のような文章があります。

「マコトでもって洗濯すれば霊化される 半霊半物質の世界に移行するのであるから 半霊半物質の肉体とならねばならん 今のやり方ではどうにもならなくなるぞ 今の世は灰にするより他に方法のないところたくさんあるぞ 灰になる肉体であってはならん 原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ 今の物質で作った何物にも影響されない新しき生命が生まれつつあるのぞ」   
(引用はここまで)

さて、日月神示の八通りある別の解釈では、「てんしさま」は新生地球(アセンション後の地球)の存在を意味します(以降、誤解を避けるために「四度の臨死体験から蘇ったてんしさま」を「リアル神様」と表記します)。

この世は「移し(映し)世」とも言われますが、「リアル神様」は新生地球の「てんしさま」をこの世に移す(映す)役割があったのです(その結果、「てんしさま成功塾」は新生地球をこの世に移す(映す)場ともなっています)。

つまり、「リアル神様」の役割は、高次元の新生地球と三次元の物質地球を融合させることにあったと考えています(二つの地球が完全融合し、再び、分かれ始めるまでが「リアル神様」の役割ということになります。「リアル神様」の魂と融合した「ミロク菩薩」こそ、新生地球の「てんしさま」であり、「リアル神様」と「ミロク菩薩」の二つの魂を結ぶ核融合のような凄まじい力が、二つの地球を融合させる原動力となっているのだと感じています)。

そして、高次元の新生地球と三次元地球はすでに重なり始めているのです!

そのサインが令和元年の年末から始まったコロナ騒ぎです(コロナ=567=ミロク)。
「令和」という字を分解すると「命ノ木」に変換できます。
エデンの園の中央に植えられた命の木の樹の実を食べると、神に等しき永遠の命を得ると言われていますが、まさに「令和」という元号も「アセンション」の始まりを暗示するものではないでしょうか…。

つまり、二つの地球が重なり始めたからこそ、人類の集合意識に潜む不安や恐れがあぶり出されて今回のコロナ騒ぎとなっているのです。

ならば、「てんしさま成功塾」は世界につながる場、歴史を動かす場だからこそ、二つの地球が融合し始めた今、次の段階へと導かれることになるでしょう。

二つの地球が重なり始めたということは、王仁三郎の予言した本物の救世主(まことの女)もまた、重要な役割を持ってすでに現れていることになるからです。

実は、王仁三郎は、次の段階では新生地球の住人にふさわしい水晶(すいしょう)(みたま)の持ち主になることが最重要事項であると教えてくれています。以下、「大本宣伝歌」より該当部分を引用します。

水晶魂(すいしょうみたま)を選(え)りぬいて 
御魂(みたま)のあらため為し給ふ
絶体絶命の世となりぬ
この世は変る紫陽花の
早七度(はやななたび)も近づきて
神の審判(さばき)も目のあたり
驚き騒ぐ醜魂(しこだま)の
身の果てこそは憐れなり
さは然(さ)りながら何人(なにびと)も
心の柱を立直し
誠の道に還(かえ)りなば
本津御神(もとつみかみ)はよろこびて
平和の御国にやすやすと
進ませ給ふぞ尊(たふと)けれ
(引用はここまで)

一人一人が新生地球の住人にふさわしい「水晶魂」の持ち主になっていなければ、再び、新生地球と三次元地球が分かれ始めた時、三次元地球に取り残されてしまうことになります。

つまり、王仁三郎が予言した本物の救世主(まことの女)の役割とは、一人でも多くの人たちが新生地球に移行できるよう、一人一人の魂をマコトでもって洗濯し、水晶魂にすることにあるわけです(日月神示にある「マコトでもって洗濯すれば霊化される」の通りです。マコトで洗濯するのですから「まことの女」でなければ出来ないことなのです)。

王仁三郎の言葉にも「何人も 心の柱を立直し 誠の道に還りなば 本津御神はよろこびて 平和の御国にやすやすと 進ませ給ふぞ尊けれ」とありますが、一人一人の心の柱を立て直し、誠の道に還らせることこそ、本物の救世主の役割なのです(王仁三郎の著作には「誠の道」という言葉が繰り返し出てきますが、これも本物の救世主を表す重要なキーワードです)。

水晶魂と私たちのいのちの本体(ワンネス)

栄宗寺住職のブログより、大変興味深い記事を紹介したいと思います。
http://kkr117.blog104.fc2.com/

「空(そら)の色」は何色でしょう?
見上げてみましょう。
水色?青色?本当に?
確かに、晴れていれば日中の空は抜けるような青色が広がっています。
でも、夕方になったらどうでしょう?
茜色、夕焼け色にその色を変えてしまうのではないでしょうか。
そのあと時間がたつにつれ薄紫色、群青色、そして日は沈み空は夜の闇におおわれてしまいます。
そして朝が来れば、空はまた薄紫から朝焼けに輝き、太陽を迎え日中の青空へと色を変えます。
さて、青色・茜色・夕焼け色・薄紫・群青・暗闇色それらの色のうち、本当の空(そら)の色とは、一体何色なのでしょう?
そう
空(そら)は無色透明です。
無色透明だからこそ、空はその時々の色に染まることができています。
もし、「空の色は水色!」と決まってしまっていたら、空は水色以外の色に変わることはありませんね?
しかし、実際はそうではありません。
空は、何色にでも変わることができています。
それは、空には決まった色がないから、無色透明だからこそできていることです。空は何か一つの色に留まることがありません。水色・茜色・黒色いろんな色になりながらも、一切の色を引き摺ることがありません。
空は色々な色を映すことができます。
青色も赤色もピンク色も黒色も、空はその身に映すことができています。
そのことがそのまま「空(そら)は無色透明」の証(あかし)です。
無色透明の空は、どんな色を映しても汚れません、傷つきません、壊れません。
そして
この空(そら)の様子は、そのまま今の私たちにも当てはまります。
私たちが喜・怒・哀・楽に染まる様子。
喜び色、怒り色、哀しみ色、楽しみ色、様々な色に私たちは染まります。
また、様々な「思い」「考え」にも染まっています。
「好き」「嫌い」「自分がある」「私は生きている」などなど様々な思いや考えを映し出しています。様々な景色(そこには身体や世界の有り様も含まれています)、音、におい、味、感覚にも瞬間、瞬間に染まっています。
そう
私たち自身も、空(そら)と同じように無色透明です。
本来、私たちは無色透明だからこそ、生まれたり、死んだり、泣いたり、笑ったり、色々なことを考えたり悩んだり、ということもできています。
あたかも
空(そら)が様々な色をその身に映し出すことができているように。
そして
様々な色を映し出している空(そら)自身は、汚れることも、傷つくことも、壊れることもないように。
(引用はここまで)

禅に「見性成仏(性を見て仏と成る)」という言葉がありますが、この「性」こそ、栄宗寺住職の言う「無色透明のスクリーンのこと」なのです。

「私たちは肉体ではなく無色透明のスクリーンだと悟ること」=「見性成仏」です。

手をゆっくり表にしたり裏返したりしてみてください。不思議なことに前の映像が残らないでしょう(味も香りも音も同様です)。これって当たり前だけど、よく考えるとすごく不思議なことなのです。手を裏返した時、手が表立った時の映像は消えているのですから。ということは、刻々に前の映像が消えて新しい映像が創造されている、すなわち、無色透明なスクリーンに刻々に新たなイマが創造されていることになるのです(もし過去の悲しみや後悔を引きずっているとしたら、そのようなイマを創造し続けていることになります)。

文殊菩薩の真言は「オンアラハシャノウ」ですが、その意味は「我は不生不滅、不垢不浄、不増不減の光なり」という意味です。生まれるとか滅するとか、汚れるとか清らかだとか、(たとえばお金など)増えたとか減ったとか、それは、無色透明のスクリーンに映し出された映像に過ぎません。やがて、そのスクリーンの奥に光源、すなわち、私たちのいのちの本体があると悟る時が来るのです(この光源が無色透明のスクリーンに様々なドラマを映し出しているわけです)。

私たちのいのちの本体は、嬉しき、楽しき、面白き、元気はつらつたるエネルギーが無限につまった超ウルトラ元気玉です(ドラゴンボール用語 笑)。

だから、そのようなイマ、ココが創造されるようになるのです(このいのちの本体たる光源とつながった心境を江戸末期の宗教家・黒住宗忠公は「あら嬉し かかる嬉しき世にいでて くるしむ人ぞ 憐れなりける」と歌に詠んだのです)。

「岩戸開いてひとつの王で治めるぞ。世界中丸めて神のひとつの王で治めるぞ」という神示もありますが、みんな根っこの部分で「いのちの本体」につながっているので、「いのちの本体」から見たらワンネス、すなわち、ひとつの王なのです(南無妙法蓮華経、つまり、蓮華の花は水面上で個々に咲いていても、その根っこは水面下ではひとつです。この根っこを「私たちのいのちの本体」=「ワンネス」に譬えているのです。そして、全体意識であるいのちの本体と個の意識の間に岩戸があるのです。でも、私たちが盤石(ばんじゃく)な個の意識を確立するまでこの岩戸は必要でした。それが出来た人から岩戸は開かれ、再び、全体意識、すなわち、エデンの園に戻ることでしょう)。

そうなった状態を、幕末の神道家の黒住宗忠公は「生き通し」と表現しました。
大いなるいのちの本体につながれば、現在のAさんもBさんも自分、過去のCさん、Dさんも自分、未来のEさん、Fさんも自分となるからです(この視点から、王仁三郎は「信長も秀吉も家康も全部自分の前世だ」と言ったのです)。
日月神示に書かれた「死のないてんしさまになる」とはこのことで、実は、そうなった人たち全員が死のないてんしさまなのです

つまり、また別の「てんしさま」の解釈では、「私たちのいのちの本体(ワンネス)」も意味していて、「私たちのいのちの本体(ワンネス)」=「水晶魂」でもあるのです。

※この続きは「てんしさま成功塾 公式メールマガジン」にて連載中。乞うご期待!