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悟りとローランドと日月神示

僕が国家風水師の白峰先生と1365日ほぼ毎日飲み歩き、ほぼほぼ365日酔いだった頃のことです(笑)。

その日は3軒目くらいに、懐メロをリクエストすると、その曲が映像とともに楽しめる新宿の居酒屋で飲んでいました(ザ・ベストテンの映像が流れます 笑)。

たしか京都から移動しての飲み歩きで365日酔い的にも、体力的にも、精神的にも限界に達していました。そんな今にも幽体離脱してしまいそうな時のことです!笑

白峰先生 「おい、ありの!ライター貸してくれ!」

ありの 「はい、どうぞ!」

白峰先生 「なっ、なんだチミは?(志村けんの変なおじさんのモノマネで 笑)」

なんと、僕が白峰先生に差し出したものはライターではなく、ボールペンだったのです!笑

つまり、ライターとボールペンの区別もつかないほど、僕のアタマはまったく働いていなかったのです。

その時です!

「きぇぇーい」と、白峰先生が一喝!

その大音響が居酒屋中に響き渡り、空間全部が大震動したかのように感じた時、自分が消えていました。

 その瞬間です!

とてつもないエネルギーが自分の中からほとばしり出て、疲労マックス状態が一瞬で吹き飛んだのです!

白峰先生 「ありの、気合いが入ったダロ!」

ありの 「何だったんですか、あれは?今から何十軒でも余裕で飲み歩ける勢いです!笑 」

どうして急に僕がこんなに元気になったのか…?

それは、自分のいのちの本体に触れることができたからです。

もちろん、その日は朝まで大いに盛り上がり、飲みまくり、はしゃぎまくったことは言うまでもありませんが(笑)、この神秘体験以降、僕は全く別次元のパワーに満ち溢れるようになりました。たとえて言うなら「北斗の拳」のラオウ級のパワーです。おかげで「わが生涯に一片の悔いなし」をモットーに、毎日、楽しく朝まで飲み歩いてます(笑)。しかし、ラオウのオーラは怖がられてモテないようで、このパワーを抑えに抑えて、普段は、南斗五車星の雲のジュウザのオーラを身にまとってます(笑)。

話が少し脱線しすぎましたが(笑)、禅僧もこの方法を使って指導するようで、臨済禅師が「喝!」と言ったり、徳山禅師が棒で叩いたりするのも、その気合いで物事の是非善悪を判断する分別知を一気に吹き飛ばし、弟子を悟りに導いているのです。 

分別知が吹き飛んだ瞬間、その人のいのちの本体は現れます(=悟り)。

禅僧は毎日、毎日、朝から晩まで坐禅することで、だんだん分別知が少なくなってきます。そのちょうどいい頃合いを見て、師匠は一喝したり、棒で叩いたり、鼻が折れるほど強くつまんだりして、分別知の残りカスを吹き飛ばして悟りに導くのです。

しかし、僕の場合は違っていました!笑

毎日、毎日、飲み歩きすることで、分別知が少なくなってきて(365日酔い効果です 笑)、そのちょうどいい頃合いを見て、白峰先生は大音響の一喝で、僕にいのちの本体を気づかせてくれたのです(大いに楽しく飲んで、歌って、踊って天の岩戸、すなわち、自他を閉ざす岩戸は開いたのです。しかし、この飲み歩き修業は強靭な肝臓を持った人しか向かない方法なので、「世界を癒す 楽禅の会」では、誰でも楽に悟りへと導かれる独自の「イス坐禅」を薦めています 笑)。

とにかく、坐禅をして悟った人はいますが、飲み歩きで悟った人は、歴史上、僕だけだと自負しています(笑)。

この神秘体験があるから、黒住宗忠公が「いっさいを天命に任せて(=いのちの本体に任せて)、すべてに感謝しなさい(どんな理不尽と思えることにも感謝しなさいという意味です)。難を難と思わぬが我が修業なり」と言った意味がすごくよく分かるのです。

すべてを感謝で受け取るのは、いのちの本体の光(それを宗忠公はお日様にたとえています)を分別知の雲で曇らせないためです。難を難と思わぬのも、いのちの本体がそのような元気いっぱいで勇ましい性質だからです。これらはすべて、いのちの本体を輝かせるための工夫なのです。いのちの本体がちょっと顔を出しただけで、僕の疲労マックス状態を一瞬で吹き飛ばし、それから何軒も超楽しく、超面白く、超愉快に飲み歩けるくらい、いのちの本体は超絶パワフルなのです(笑)。まさに、いのちの本体は常に元気と楽しさと面白さのエネルギー渦巻いている超ウルトラ元気玉です(=常楽我浄)。

てんしさまはローランド(ピアノではなくホストの方 笑)を、自分と同じ魂の人だと言われますが、そんなローランドの言葉も自信に満ち溢れています。それがいのちの本体の性質なんです。以下、ローランドの言葉を紹介しますが、おそらく、てんしさまの言葉として紹介しても区別がつかないでしょう(笑)。この思考パターンをまねること、これらの言葉がポンポン飛び出してくる、いのちの大本をつかむことが大切なのです(ナポレオンの「余の辞書に不可能はない」も、いのちから飛び出した言葉ですね。超絶パワフルないのちの本体に不可能はないからです)。

※男に生まれたからには、地球の一つや二つは幸せにしたい。

※月に自分が出向こうとしてる時点で月に負けてない?
俺様クラスになると逆に月を来日させる方向で考えてるからね。

100人が100人ダメと言っても、その100人が間違えているかもしれない。

※自分のスペックを冷静に考えたら、面白いし、かっこいいし、身長高いし。このスペックで生まれてくるには、かなりの徳を積まなきゃいけない。

※ホストの出勤シーンってヒーローの登場シーンと一緒。

※みんな、1つだけ俺と約束して欲しい。
気持ちは分かる。だけど仕事や学校にちゃんと行くこと。
ローランドロスのせいで世界の経済に迷惑を掛けたくないからね。

※福岡と東京の違いって何か知ってる?俺がいるかいないか! 

※本当に大きい目標で言ったら、世界を明るくしたい。

※自分が大好きで、自分に惚れている状態です。

※生きてる事が社会奉仕。

※俺に会ったことない人達って一体何が楽しくて生きてるの?

※いい女の条件って知ってる? 俺がいい女だと思うかどうか!

※下手なテレビを見るより鏡を見ているほうが楽しい。

※ローランドがこの世に居る限り、もう10月を神無月だなんて言わせない。

(紹介はここまで)

この思考パターンをまねることが大切で(そうすることで、いのちの本体に共鳴するからです)、ローランドもまるで創造主であるかのように振る舞っています(笑)。

「いのちの本体」=「ワンネス」=「創造主」なのですから、そうなるのも当然なのです。

この意識の世界観の大きさが豪運になる極意のひとつです。僕が白峰先生から学んだものもそれで、白峰先生は「俺がすべての星を動かしている」と本気で豪語していました(笑)。

てんしさまは「世界中の子供たちに自分を知ってほしい」と言われたことがありますが、それも、いのちの本体視点からの言葉です。「世界中の子供たちに、創造主、すなわち、いのちの本体の存在に気づいてほしい」と言っているわけです(てんしさまの言葉を額面通りに受け取るのではなく、その言葉の奥の真意をつかむ必要があるといつも感じます)。

「てんしさまを幸せにすること」=「人類全体を幸せにすること」というのも、いのちの本体の立場から言えば当然のことなんです。

「いのちの本体」=「ワンネス」=「創造主」=「てんしさま」なのですから…。

つまり、「てんしさま」は「いのちの本体」と言い換えることができます。その「いのちの本体」は「ワンネス」なのですから、「人類全体」も「いのちの本体」と言い換えることができるからです。

日月神示は8通りの解釈ができますが、分別知がなくなって、いのちの本体につながった時、自他の境界も消えます(=ワンネス。南無妙法蓮華経、つまり、蓮華の花は水面上で個々に咲いていても、その根っこは水面下ではひとつです。この根っこを「大いなるいのちの本体」=「ワンネス」に譬えているのです)。

そうなった状態を、宗忠公は「生き通し」と表現しました。

いのちの本体につながれば、現在のAさんもBさんも自分、過去のCさん、Dさんも自分、未来のEさん、Fさんも自分となるからです(日月神示に書かれた「死のないてんしさまになる」とはこのことで、そうなった人たち全員が死のないてんしさまだも解釈できるでしょう。この視点から、出口王仁三郎は「信長も秀吉も家康も全部自分の前世だ」と言ったのです)。

だから「あなたを幸せにすること」=「人類全体を幸せにすること」でもあるのです(あなたと人類全体はひとつの大いなるいのちだからです。つまり、てんしさまは当たり前のことを言われているわけです)。

そして、宗忠公の「感謝すること」「全託すること」は、あなたを幸せにする(=人類全体を幸せにする)秘訣なのです。

の宗忠公は、あなたを幸せにする(=人類全体を幸せにする)秘訣として、次のようなことも語っています。

「太陽の気を吸って下腹を張り、日々怠らずに年月を重ねるときは、臍下気海丹田は金石のように堅くなる。このようにならなければ道の人とは言うことはできない。試みに棒で押してみると日々に勤めているかどうかよく分かる。この陽気が臍の下に集合し積み重なり団結すれば、病気もなく、身体すべて健康となる」

宗忠公の弟子によると、宗忠公は普段座っている時、手を腹に当ててぐるりぐるりとなでまわしたり、下腹に手を当てて座っていたと伝えられ、道を行かれる時も、片方の手は決して下腹から放されることはなかったと言うのです。

日々の信仰の成果は丹田に現れるとの考えから、お互いの丹田に一本の棒を当てて、お互いの丹田力を押し合って競い合う「丹田相撲」なるものまでやらせていたそうです。このように、宗忠公は丹田をとても大切にしました。なぜなら丹田の一点こそ、いのちの本体につながるポイントであり、そこから無限の元気と無尽の歓喜のエネルギーは溢れ出てくるのですから…。禅や気功やヨガが身体を重視するのは、とてつもなく深い意味があるのです。

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我が太極拳の老師が秘伝の巻物を授かった時に、そこにはひと言だけ「坐」と書かれてあったそうです。坐禅は丹田を直接的に練ることができる(=いのちの本体につながることができる)最良の方法にして、あなたを幸せにする(=人類全体を幸せにする)最重要の秘訣でもあるのです。そして、あなたの宇宙に対してあなたが全責任を取るという姿勢こそ、ワンネス(=いのちの本体)に共鳴する生き方なのです。

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